postheadericon ホテルでポン引きに間違えられた話

事件が起きた時、私は19歳の純真無垢な青年だった。

当時、私はマカティ市の某日系ソフトウェア会社に通訳・翻訳担当者として勤め始めたばかりだった。

仕事は主にフィリピン人の社長と日本人の会長の通訳、フィリピン人プログラマーと顧客との間の通訳、プログラム仕様書やQA(質問と回答)の翻訳、総務関連の翻訳と通訳。要するに、会社の業務に関わる全ての翻訳と通訳を一手に担っていたわけだ。


仕事柄、社長や会長に同行し、現地の取引先や日本から出張してくる顧客の接待をする機会が多くなっていった。

ある金曜日の夜、私と会長と社長、そしてプロジェクトリーダーの4人で、日本から来た顧客に会いにマカティ市にある某高級ホテルに向かった。

ホテルのロビーに着いた時、顧客はガールフレンドとおぼしきフィリピン人女性と一緒にいた。しばらく商談を交わした後、顧客は「先に部屋に戻る。後でガールフレンドを部屋まで連れて行ってほしい」と言って一人で部屋に戻ってしまった。

今思えば不思議なことである。彼女と一緒に部屋に戻ればいいじゃん。こちらは彼のガールフレンドと話したってしょうがないのだ。

しかし、当時はそのことを訝しがるほど人生経験を積んでいなかった。もとより人を疑うことを知らなかった。そして彼のガールフレンドを部屋までエスコートする役を仰せつかった私は、言いつけ通りに彼女を部屋まで連れて行き、ロビーに戻るべくエレベーターで1階に下りた。

エレベーターの扉が開いた時、白いバロン・タガログをまとったホテルの警備係が私を待っていた。

突然「お前はどこから来た?」「あの女はなんだ?」「どの部屋に連れ込んだ?」と矢継ぎ早に質問を浴びせられ、私は何が起きたのか判らず、混乱した。「えー、ボクはロビーから来て、彼女はボクのゲストのオトモダチで、部屋は忘れました」と、しどろもどろに答え、事態を更に悪化させてしまった。

考えてもみたまえ。社会人になったばかりの、大人の世界とは無縁の生活を送ってきた純真無垢な青年が、敵意をむき出しにした警備係から厳しい職務質問を受けたのだ。冷静になれるほうがどうかしている。

その応対のまずさに加え、色黒でフィリピン人然とした容貌と貧相な体つき。警備係は100%「こいつはポン引きだ」と確信したらしい。更に悪いことに、その日は金曜日だった。私はいつものサラリーマン然とした格好ではなく、ラフな格好をしていた。

当時私が勤めていた会社では、社員の服装として長袖のワイシャツにネクタイ、そして革靴の着用が義務付けられていたが、金曜日だけは「カジュアル・デー」ということで私服が認められていたのである。普段通りネクタイを締めていれば、状況は変わっていたかもしれない。

更に更にまずいことに、私はタガログ語で応対していた。英語で応対して教養があるように見せかけていたら、状況はもっと変わっていたかもしれない。

警備係は私の首根っこをグイとつかむや、「ちょっと来い」と奥の部屋まで引っ張っていった。私はというと、自分の身よりもロビーで私を待っている仲間が気になっていた。「いつもまでもボクが戻って来ないんで心配してるだろうなー」時間はとっくに午前零時を回っていた。

警備室までの長い廊下を、首根っこをひっつかまれたまま猫の子みたいに引っ張られていく途中、警備係が「うちのホテルで商売するとはふてえ野郎だ」と、いきなり私のわき腹を殴った。「知らなかったんですよ」と、これまた誤解を招くような返事をしてしまう私。

警備室に入ると、そこには室長とおぼしき恰幅のいいおっちゃんが座っていた。私を胡散臭そうに見やり、「またこいつらか」とつぶやく。

室長はしばらく忙しそうにしていてすぐには私に質問をしてこなかった。おかげで私はそばの椅子に腰掛け、冷静に考える余裕が出てきた。「どうやらボクはブーガウ(Bugaw-タガログ語で「ポン引き」という意味)に間違われたみたいだな…」と、いまさら気付く。

私に質問をしているうちに室長も勘違いに気付いたようで、だんだん受け答えが丁寧になってきた。
「どうやら我々の勘違いだったようですな」

「勘違いどころじゃないっすよ!」私の怒りがついに爆発した。ドアのそばに立っている警備係を指差し、「彼は証拠もなしに、いきなり私を殴ったんすよ!これだけは許せない。謝る気があるのなら、即刻彼をクビにしてください」

ロビーに戻った時には午前4時頃になっていただろうか。あたりには私の仲間以外、誰もいなくなっていた。従業員が撒く消毒液で、あたりは霧がかかったようになっていた。学生時代にバギオの洞窟を見物した帰り道、濃い霧のために道に迷ったことをふと思い出した。あの時もこんな感じだったっけ。いや、もっと濃かったかな?

私から事情を聞いたフィリピン人社長は怒り狂い、そばにいた警備員に掴みかかろうとした。プロジェクトリーダーが彼を抑えなかったら、もうひと騒動起きていたかもしれない。社長の剣幕にビビッた警備員は拳銃を抜こうとしていた。

その翌週、ホテルに招待された私はロビーで警備室長に改めて謝られ、手紙を渡された。ホテルの総支配人からのその手紙には、ホテル側の不手際に対するお詫びの言葉と共に、件の警備員をクビにしたことがしたためられてあった。

































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